1932年10月10日 浜松市元城町に三男として生まれる。戦前・戦中、叔父のタンゴ 好きの影響を受け、音楽に惹かれるようになる。
戦後、進駐軍向けのラジオ放送WVTR(AFRS)で、ジャズに開眼。50年前後、仲間とハワイアンバンドとジャズ コンボを組み、米軍キャンプに楽旅。その後、52年にジャズ愛 好団体ハママツ ジャズ クラブを創設。ジャズブームの中、53〜54年に3回、浜松初の本格的なジャズ コンサートを開催する。大学卒業後、教職についたのを境に、ジャズ演奏は少なくなるが、ジャズの研究に没頭するようになり、モダンジャズの歴史をリアル タイムで探究していく。
その間、ローカルでNHKのAMとFMラジオ放送、民放SBSラジオ放送および、NHK TV に出演、その後、市民講座ヒューマンセミナー等の講師、コンサートの審査員や司会者・ 解説者を歴任。
現在は、ルーズ ジャズ ワークショップを主宰する傍ら、"ヤマハ ジャズ アドリブ講座" のインストラクターをすると共に、99年2月からは "佐藤竜のジャズトーク" 、08年からは ”はまゆう図書館自主講座 (ジャズ講座)" の講師として、ジャズの魅力をやさしく解説している。
 
 


 
1945(S20) 進駐軍向けラジオ放送WVTRを聴き、ジャズに開眼する。
1947(S22) “スイングジャーナル”創刊。
1948(S23) モアナ ハワイアンズを結成。
1950(S25) 蒲郡の米軍キャンプに楽旅。1週間ほど滞在する中で、カントリー ミュージックを知る。
この頃、NHKのローカル ラジオで演奏放送する。
1951(S26) キャバレー ニュー パレスに定期出演する。太田匡彦君、永田五郎君らとジャズ コンボ「ファイヴ サウンズ」を結成。
1952(S27) ハママツ ジャズ クラブ創設。当クラブ主催の月例ジャズ レコード コンサートおよびジャズ ライヴ コンサートを開催する。
1953(S28) 当クラブ主催の本格的ジャズ コンサートを翌年にかけて3回開催する。(南里文雄のホットペッパーズや与田輝雄のシックス レモンズ、江利チエミ等を招聘) 司会のいソノてルヲ氏と懇意になる。ハワイアン バンド「フラ アイランダース」やカントリー&ウェスタンのバンドを組みクラブに出演。
1954(S29) 御前崎の米軍キャンプに土曜楽旅する。ヴァイブラホーンを購入する。
1955(S30) この頃後にレコード大賞編曲賞を受賞した土持城夫君と知り合う。
1956(S31) 東京で活動していたジャズ ギタリスト 神谷氏と知り合いトリオを組む。
静岡でベニー グッドマン スタイルのコンボに参加する。
1957(S32) この頃結成された「ホット クラブ オヴ ハママツ」の常任解説者となる。
1960(S35) 中村英治君のコンボで民放SBS放送に出演する。
1962(S37) 中村英治君死去。
1963(S38) この頃からモードジャズの研究を始める。
1964(S39) この頃よりジャズ喫茶「キャロル」に出没する。
1970(S45) 刀原健一郎氏のケニーズ 5に参加する。同コンボでNHK浜松でTV出演する。
1971(S46) 佐藤竜トリオを結成。ジャズ喫茶「キャロル」で日曜ライヴを始める。
1972(S47) 土持城夫君「ハチのムサシは死んだのさ」の編曲でレコード大賞受賞。
1973(S48) この頃より、佐藤竜とニュー サークルを結成。ヤマハ(鍛冶町店)で日曜ライヴを始める。
10月 NHK静岡 FM放送「リクウェスト アワー」ゲスト出演。
1974(S49) 川島隆介君と「ザ トリオ」を組み、豊橋駅前パブの土曜日のハウス バンドとなる。ヤマハ ライト ミュージック コンテストの審査員をする。
1975(S50) フェンダー ローズ (エレクトリック) スーツケース ピアノを購入し、佐藤竜とニュー サークルでコンサート ライヴを行う。
1976(S51) ルーズ ジャズ ワークショップを創設する。
1977(S52) 鈴木保志君(ベース)を門下とする。(後、上京し、池田芳夫に師事する)
1980(S55) 鈴木保志君とデュオ(ピアノとベース)を組み、アブハウスで定期ライヴを行う。
1985(S60) ブラック ミュージックの研究を始める。
1988(S63) この頃まで徐々にオーディオに凝り、この年アンプとスピーカー(JBL4344)を購入する。
1990(H 2) 長上公民館音楽講座「アメリカ音楽とブラック ミュージック」の講師をする。
1991(H 3) 西部公民館音楽講座「現代ポップ ミュージックの源流を探る」の講師。
この頃永田五郎君(上京し、最盛期にはバンドマスターとして、加藤茶にドラムを叩かせていた) 死去。
1992(H 4) 掛川市にあるヤマハのリゾート「つま恋」で、第1回のシャズ インが始まる。
1993(H 5) 8月 つま恋ジャズ イン'93が開かれる。演奏および解説者として参加。10月 浜松秋祭り。
ジャズ コンサートの解説者。
1994(H 6) つま恋ジャズ イン'94の解説者。
1995(H 7) つま恋ジャズ イン'95の解説者。ヤマハの鍛冶町店で、ヤマハ ジャズ アドリブ講座を講師として開講する。
1996(H 8) つま恋ジャズ イン'96の解説者。ジャズ アド リブ講座にコンピュータを導入する。
1997(H 9) 8月 ネギ ドラムの根木敬三氏(銀座のヤマハの楽器売り場に勤務していた頃、渡辺貞夫氏 のバークリー音学院留学に陰の力となる)死去。鈴木保志君(ベース)死去。この年都合で、 つま恋ジャズ イン開かず。
1998(H10) 江間一裕君「エマック」を創立し、トライアル レコーズ(レイベル)を起こす。8月つま恋 ジャズ イン'98の解説者。8月 土持城夫君死去。9月から11月 浜松市ヒューマンセミナー ジャズ鑑賞講座「ジャズ - その魅力を探る」(浜松市積志公民館)の講師。
1999(H11) 「佐藤 竜のやさしいジャズ トーク」がジャズ カフェ ハーフ ノートて始まる。8月 つま恋 ジャズ イン'99の解説者。9月から11月 浜松市ヒューマンセミナー ジャズ鑑賞講座「ジャズ - その歩みと魅力」(浜松市可美公民館)の講師。
2000(H12) 「佐藤 竜のやさしいジャズ トーク」がジャズ カフェ ハーフ ノートて始まる。楽友いソノ てルヲ氏死去。   つま恋ジャズ イン開かず。
2001(H13) 2月より「佐藤 竜の新世紀ジャズ トーク2001」が始まる。別 に3月より「佐藤 竜のジャズ トーク at MAM'SELLE」が始まる。つま恋ジャズ イン '01の司会者。
2002(H14) 2月より「佐藤 竜の新世紀ジャズ トーク2002」が始まる。3月で「佐藤 竜のジャズ トーク AT MAMSELLE」終了。10月「伊佐見実年大学(伊佐見公民館)」で「やさしいジャズの 楽しみ方」を講義。
2003(H15) 1月より「佐藤 竜の新世紀ジャズトーク」が始まる(年間9回)「佐藤 竜のスウィート ジャズ トーク at AKIYAMA」 開催。
2004(H16) 1月より「佐藤 竜の新世紀ジャズトーク」が始まる(年間8回)「佐藤 竜のスウィート ジャズ トーク」開催。
10月23日よりヤマハミュージック浜松店にて「佐藤 竜のやさしいジャズトーク "ジャズの名盤を聴こう"」
11月 FMハローにゲスト出演。
2005(H17) 「佐藤 竜 ジャズ レッスン セッション」を12月4日に浜松市立県居公民館にて開催。
2006(H18) 「佐藤 竜 ジャズ レッスン セッション」を6月25日にハァーミット ドルフィンにて開催。
2007(H19) 「佐藤 竜 ジャズ レッスン セッション」を4月15日に浜松市立県居公民館にて開催。
10月 ヤマハミュージック3Fサロンにて「佐藤 竜のジャズトーク "映画の中のジャズを楽しむ"」
2008(H20) 佐藤竜の新世紀ジャズトークは "10周年記念トーク" をもってこの年で終わる。
第一回やらまいかミュージックフェスティバルの司会を務める。
浜松市立はまゆう図書館自主講座「ジャズの魅力はどこにあるのか」の講師を務める。(11月から5週連続5回)
2009(H21) 浜松市立はまゆう図書館自主講座(6月から年度5回)の講師を務める。
4月26日「佐藤 竜 ジャズ レッスン セッション ハァーミット」を開催。
2010(H22) 浜松市立はまゆう図書館自主講座「ジャズの愉しみ方 あれやこれや」(6月から年度5回)の講師を務める。
“スイングジャーナル”5月号で休刊。
2011(H23) “ビスケットタイム”にて「ROO JAZZ ROOM(講座)」開設。